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雑念を生み出す無意識は悪ではない、無意識の力で問題解決のヒントやアイデアを生み出す方法【4 FOCUS 脳が冴えわたる4つの集中】

カテゴリ: 読書

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集中の邪魔をする、過去の失敗や未来の不安。これらは無意識「デフォルト・モード・ネットワーク(以下DMNと略す)」が生み出す、雑念。

瞑想は、意識「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(以下CENと略す)」と無意識「DMN」を完全に切り離し、意識「CEN」に集中し、無意識「DMN」に支配されず、受け流し、最終的には無意識から生まれる雑念や思考をゼロに近づける、脳のトレーニングだ。

瞑想を軸に考えると、集中の妨げになる無意識「DMN」はできるだけゼロに近づけた方が良いとされているため、邪魔な存在、悪い存在と捉えてしまいがちだが、実はそうではない。

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前回の記事で、集中には4種類ある事を紹介したが、そのうちの2つは無意識「DMN」を駆使したものになっている。

二つの無意識の集中力

無意識の力を使う集中は

  • 内側に広い集中:自在集中
  • 外側に広い集中:俯瞰集中

がある。自在集中は、瞑想時に次から次へと湧き上がる、あのやっかいな雑念そのものを指し、俯瞰集中は、その名の如く、木ではなく森全体を俯瞰で大きく捉えられるような状態で、それでいながらDMNとCENを切り替える役割を持つ脳機能サリエンス・ネットワークによって瞬時に森から木へと瞬時に切り替えられる状態を指す。

となると、それなら瞑想などによって意識を研ぎ澄ますトレーニングを必要とするような、狭い集中である入門集中や記銘集中に頼らなくても良いのではないかと思ってしまうが、意識による集中と、無意識による集中は、根本的な方向性が異なっており、またある意味主従の関係性にある事から、片方だけで良いとはならない。

狭い意識の集中と広い無意識の集中の違い

神経活動CEN主体の意識の集中は、仕事や勉強などの眼の前の課題に取り組む為に、内面の迷いや不安、外界の誘惑などを断ち切って取り組んで行くためのもの。

そして神経活動DMN主体の無意識の集中は、問題解決の糸口となるヒントやアイデアを閃く為に、内面から湧き上がる感情や思考、外界から入ってくる情報を遮断せず、自由に取り込んで考えていく状態の事。

集中の方向性が根本的に異なっている事がポイントになっている。

無意識は意識が作り上げているもの

そして、そもそもとして無意識とは、普段の意識が日々作り上げているという事が前提にある。意識になしに無意識は成立し得ない。

人が普段自転車や車の運転を深く考える事なく自然に無意識に近い状態で操作できるのは、最初の頃に意識の力で集中し訓練を繰り返していればこそ。

それ故に、意識による集中、入門集中や記銘集中を鍛える事なく、無意識の集中に取り組もうと思っても、何ら力を発揮する事はできない。

無意識の集中を使いこなすには、入門集中や記銘集中によって知識と記憶、経験を積み上げ、蓄えていく事が必要なのだ。

まずは瞑想が最適解

そのため、意識の集中力を高める事を飛ばして、いきなり無意識の集中力に頼ろうとするとは誤りという事になる。

まずは瞑想によって、内側の狭い集中「記銘集中」を研ぎ澄まし、外側の狭い集中「入門集中」に応用。そこでしっかりと知識と記憶、経験を積み上げていく。

瞑想こそが、全ての集中力を獲得するための最初の最適解と言えるだろう。

しかし、そこを突き詰めていった時、いつか必ず壁にぶち当たる。意識による集中には必ず限界が訪れる。

散歩で無意識の力を開放する

瞑想を何時間もできないように、意識に集中し続ける事には必ず限界が存在する。

また、意識の集中とは、狭い集中。ミクロへ、ミクロへと没入する事で作業効率を高めていく事はできるが、マクロの問題、根本的な問題の解決能力には乏しい。

意識の力で集中すれば集中するほど、全体を見通す事が難しくなるのだ。

ここで、無意識の力、外側と内側、両面に広がる視点が必要になってくる。

無意識の集中力、自在集中と俯瞰集中、どちらも同時に発揮する方法として「散歩」が一番の方法だと私は結論を出している。

歩く、という行為をわざわざ意識して行動している人はいないだろう。無意識に歩きながら、変化しつづける外の景色を大きく俯瞰で捉えながら、時折気になる所をピンポイントでフォーカスして意識する作業は、まさに俯瞰集中そのもの。

また俯瞰集中をやめて、自身の内面の声に耳を傾ければ、歩きながら次から次へと様々な思念が沸き起こる。この思念を止めずに自由に遊ばせる行為こそ、まさに自在集中だ。

私の場合

私は散歩をする時は、周りの景色をぼんやりと俯瞰で眺めながら、少しゆっくり目のスピードを意識している。

時々気になるものが目に入った時に無意識から意識に切り替わりフォーカスする事もあるが、そこで深く集中して観察しようとはせず、何の感想も抱かず、またすぐに俯瞰に戻って、ぼんやりと景色を眺めながら歩き続ける。

そこに、今行き詰まっている問題を軽く投げかけみたり、タスクアプリで羅列している1週間単位、1ヶ月単位の目標を思い出し頭の中で漠然と羅列してみる。そこで決してタスクの一つ一つに集中はしない。それらも景色と同じように俯瞰でぼんやりと眺め、歩き続ける。

すると無意識の集中力が勝手にブレインストーミングを始めてくれる時がある。

必ず答えが返ってくるとは限らないが、意識を集中しているだけでは、決して思い浮かばないような自由な発想が次から次へと、いい意味で無責任にやってくる。

ある時には、周りの景色を見ているようで見ていない状態、自身の内側から湧き上がる、雑念を遊ばせながら歩いてみる。

以前なら、雑念の中には過去の後悔や、未来の不安、考えても仕方のない自分ではコントロールできない現在の問題ばかりが頭を支配して、モヤモヤしてしまうだけだった。

しかし、瞑想を日々の習慣にする事で、「今、ここ」に集中する意識(CEN)が育ち、それが無意識(DMN)にも影響を与え、変化していったのだろう。

無意識の雑念にそういったネガティブな思念が圧倒的に減り、面白いアイデアが浮かぶ事が増えてくるようになっていっている。

時には、タスクを俯瞰で眺める「俯瞰集中」と内側の雑念を遊ばせる「自在集中」が交互に繰り返され、そこで点と点が繋がって、閃きを得る事もある。

ちなみに瞑想には「歩行瞑想」なるものがあるが、それはやはり歩きながら意識に集中するものなので、私がやっているものとは方向性が根本的に異なる。

まとめ

  • 集中には意識と無意識の2種類が存在する
  • 無意識は、日々の意識の蓄積によって形成されていく
  • 意識の集中による、知識と記憶、経験の蓄積なしに無意識の集中は力を発揮しない
  • まずは瞑想から
  • 無意識の集中には散歩が一番
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サムリ
ロコネット代表 フリーランスとして活動して20年、地域情報ブログに携わって10年 趣味はゲームとアウトドア、映画鑑賞、愛犬家、二児の父
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