蓋をして忘れていた「淀んだ時代」を抉り出されて、吐きそうになった【ルックバック】
泣けたとか、感動したとか、そんな簡単で生易しいものではなかった。
蓋をして忘れていた「淀んだ時代」を抉り出されて、私は正直吐きそうになった。
関連リンク:劇場アニメ「ルックバック」
私は専門学校卒業の年に、就職氷河期に見事にぶち当った。
何もかもが中途半端でいい加減だった私は、頑張って就職活動するわけでもなく、周りで右往左往するクラスメイトを眺めながら、静かに働く意欲を失っていった。
卒業後、レンタルビデオ屋でフリーターとなって、だらだらと映画を観ながら、自堕落な生活を送る日々が続いた。
親からのプレッシャー、友人たちが次々就職していく現実。
全ての物事から目を逸らすように、逃げるように、私はスケッチブックに絵を描き始めた。
そう、藤野と京本が山のように積み上げていった、あのスケッチブックだ。
あのスケッチブックの山をスクリーンで観た瞬間から、胃酸が逆流するような、言いようのない気持ち悪さが全身を襲った。
絵を描く事は小さい頃から好きだったし、得意な方ではあった。
しかし、絵を描く事を仕事にしようと思った事なんて、それまで一度もなかったし、正直な所、そんな才能は持ち合わせていない事は、なにより自分が一番分かっていた。
分かってはいたが、絵を描く事を辞める事はできなかった。
現実を見る事が怖かったし、才能はなくとも、辛うじて自分が得意だと思える事に没入する事で、折れそうな精神状態をなんとか保っていたのかもしれない。
しかし、ただ無目的にスケッチブックに絵を描き続けても、現実は何も好転しない。
「あんたいつまでマンガ描いてるの?」
「そろそろ絵を描くの卒業した方がいいよ」
あれからもう30年近く経っているというのに、劇中のセリフに、心が抉られるようだった。
実際似たような言葉を親に言われたし、自問自答していた言葉でもあったと思う。
最初の頃は絵を描いている間は、他のことを忘れる事ができて楽しかったが、だんだんそうやって自分を騙していく事も難しくなっていた。
なんとかしないと。
焦る気持ちが強くなっていった。
そこから少しづつ、なんとかして絵を描く事を仕事にできたら、いやしないといけないと思うようになり、私はいろいろな所に自分の書いた絵を送った。
その一つが、漫画家のアシスタントの募集だった。
送った絵が認められて、街の背景を描く課題を与えられた。その時、アシスタント候補が私を入れて2〜3人いたと、確か編集の人が言っていたと思う。
その中で一番上手だと編集の人と、漫画家さんにも褒めてもらえた。
私は、アシスタントに合格した。
月刊誌で連載している漫画家さんで、アシスタントは月の半分以上を住み込みで働く事になっていた。
話がトントン拍子で進んでいく中、私は急に怖くなった。
「アシスタントになるという事は、これから漫画業界で生きていくという事だろ?その覚悟あるの?」
「アシスタントを一生続けるわけにはいかないだろ?いつか漫画家になるの?漫画家になる事を目指すの?」
「そんな事お前考えてた?その覚悟あるの?そんな才能あるの?」
「ここから先踏み込んだら、もう後戻りできないよ?」
誰でもない。私の中の私が、容赦なく詰めてきた。
現実から逃避するために「夢のようなもの」を拵えて、それに酔う事で自分をごまかしていたけれど、その「夢のようなもの」の先にも、現実というものがあるわけで、、、。
現実を受け止める覚悟のない私は、土壇場で怖気づいてしまい、アシスタントの仕事を辞退してしまった。
私は夢に敗れた人間ではなく、夢からも逃げた人間だった。
そんな私にとって、夢に向かって努力し、その夢を掴み取った藤野と京本は、素直に眩しく見えた。眩しいが故に観ていて苦しかった。
でも、彼女達の努力の日々、積み上がっていくスケッチブックの量を改めて思い出した時、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
夢を追う覚悟は、その努力の量に比例する。
私が積み上げた程度のスケッチブックの冊数では、生半可で見せかけの努力のようなものでは、あそこに立ってはいけないのだ。
私は夢に値する人間ではなかったんだと、私は夢から逃げて正解だったんだと、この作品を観ながら悟った。
夢は残酷だ。夢を持つ者全てをすくい上げてはくれない。しかし、夢という罪に罰があるとするならば、それは夢敗れた者ではなく、夢を背負い続ける者に科せられるものなのかもしれない。
心を抉られて、吐き気がするほど苦しかったが、最後にはなぜか救われたような思いがした。
本当に素晴らしい作品だ。
しかし、もう一度鑑賞する勇気が、今はまだ持てない。